じいちゃんとばあちゃん

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私は母方の祖父と曽祖父に会ったことがありません。
母親が子供の頃から祖母と曽祖母の女3人暮らしだったとか。
その辺のことを今まで詳しく聞いたことがなく、
私が知っているのは仏壇に飾られた遺影写真のお顔だけ。
曽祖父はどうやら飛行機乗りだったようです。
戦時中に亡くなったと聞いた気がします。

私の祖母はお茶とお花の先生をしていました。
幼いころ祖母の家に遊びに行った時に
私は興味津々で、教え子たちが習っているのを
こっそりのぞき見ていた記憶があります。
教室が終わった後にはよくお茶の作法を教えてもらいました。
子どものくせになぜかあの苦い抹茶が大好きで
一緒に出てくるお茶菓子ももちろん大好き。
懐紙を集めるのもハマっていました。
お茶碗や茶筅、茶杓、なつめ、ふくさなど
必要なお茶道具も祖母がそろえてくれました。
といってもこれは私が小学生くらいの頃の話。
今となってはお茶をたてることはできても
作法までは記憶があやしい。

祖父も曽祖父も祖母も曽祖母も
すでに他界しています。
戦時中の話を聞こうにももう聞けません。
お茶のことをもっと教えてほしいと思っても
それはもう叶いません。

まあお茶を習うこと自体は可能ですが、
祖母からちゃんと習っておけばよかったなあなんて思うのです。
戦時中の話は曽祖父が若くして亡くなっているとなると
私には初めから聞く機会はなかったかもしれませんが、
祖母や曽祖母から聞くことすらできないのだという事実に
いまごろ気付いたのです。

こんなことを考えるようになったのは、
もうすぐ公開される映画『永遠の0』と『利休にたずねよ』の
原作を読み、試写を見たことがきっかけ。
戦争のこと、お茶のことを見つめるうちに
もっと知りたいという気持ちがふくらみ、
気付いたら、じいちゃん、ばあちゃんのことを考えていたわけです。

大事なことはいつだって別れて初めて気付く、
というものなのでしょうか。
人は永遠じゃないから、いつか消えてしまうから、
意識して、残す、伝える、ということをしないと
ほんとに誰もが忘れてしまう。忘れられてしまう。
そんなことを思ったのでした。


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